さて、マッカーサー型のサングラスをかけたオヤジのそこはかとなく黒いオーラに、果たして彼がちゃんとガイドしてくれるのかどうなのかすごく不安だったのだが・・・
・・・
ゴメンオヤジ!疑って悪かった。 

古代エジプトの知識が全くないままに旅立った私は、その時のオヤジの発言に対して失礼ながら「かなり口から出まかせでテキトーかましているのではないか」といささか疑心暗鬼だった。
もしオヤジがマッカーサーグラスなんぞかけず、簡易保険の窓口職人のような誠実げなルックスだったとしたら、きっと頭から信じていただろうから人間なんていい加減なもの。

しかし後日聞いたところによれば、カイロ博物館の前庭でたむろしている胸からIDカードを下げたガイドさん達は、皆きちんとした資格を持った公認ガイドなのだ。

<追記>残念なことに2005年春現在では日本語ガイドはまだいないそうだが、館内を見て回る時間があまり無いときには、ぜひガイドを頼むことをおススメする。でないと広すぎて右往左往するばかりで、時間はあっという間に過ぎてしまうだろう。


話戻って、ノーチェックにてズンズンと館内に乗り込んだオヤジと私。

初めのうち彼は悠長にも、ホール入り口に飾られているかの有名な「ロゼッタストーン」(のレプリカ。本物は英国に持って行かれて大英博物館に収蔵。エジプトは返せと言うてるらしいが、それはきっと無理。)などの有名どころを紹介しようとする。

私は額に血管を浮かせ目を血走らせつつ、荒い息の間から咆哮した。

コラオヤジっ!のんびりロゼッタストーン見とるヒマないねん!(怒)古王国と中王国はすっ飛ばして!プトレマイオス朝やローマ期はもっと要らん!とにかく新王国の武具とパンツとカツラとアマルナ美術を見せてくれ!」と。

「アマルナ美術」以外は大きな声で言えないけれども、鉄壁のYU−GI−OH/オタク・セレクション

変なことを言う日本人やなという表情をしつつも、オヤジは私の言葉を受け、アテンのみを唯一の神とする宗教改革を押し進めたアクエンアテン王とその妻ー歴史に残る美女として讃えられるネフェルティティの「アマルナ室」へと案内してくれた。

ネフェルティティの胸像としては、ベルリン博物館に収められている片目の無い彩色頭部像が有名だが、私はむしろこのカイロ博物館収蔵品(左)の方が、シンプルが故に削ぎ落とされた美をまとっているように思えて好きなのだ。

初めて対面する実物は、指紋でベタベタになった曇ったガラスを隔てて、他の小さな発掘品と共に地味〜な感じで並べられていた。

エジプト史をちょっとだけかじった今では、種々の事情でネフェルティティへのあこがれは消え失せたものの、少女の頃には「私もいつも頭を高く掲げて生きよう」と理想の女性像として胸にしまっていた女王の像。

カイロ博物館に来て、アヌビスやツタンカーメンの椅子やこの女王像など、昔から写真で飽かず眺めた美術品の数々を実際に目の当たりにすることが出来ただけでも、エジプトに来た甲斐があったというもの。

それも全てはあの日ジャンプを開いたことに端を発するとは・・・萌えは偉大なり。


さて、私にはもう一つ、是非ともこの網膜に焼き付けておきたいブツがあった。

それは「神官は割礼を行っていた」というヘロドトスの記述によっても知られる「古代エジプトにおける割礼の記録」である。

イラストで見たそのシーンには、嫌がる少年(←ここがミソね)を押さえつけて割礼を施す情景が描かれており、これを日本で待つ同志への土産として是非ともカメラに収めなくては!

だがそこに大きな問題が一つ。

日本語が母国語である私とアラビア語が母国語であるオヤジの会話は当然カタコト英語。
「割礼」なんて英語知らんがなフツー!!

貴方は知っていますか「割礼」という英単語を?少なくとも「試験に良く出る英単語」には絶対載ってません。
ただ幸いにも、
”circumsiなんたら”という単語のカケラだけは頭にあった私。

”サーカムシ・・ジ・・シオン・・・!!”と繰り返し絶叫して相手に意志を伝えようともう必死。
まさか遠くエジプトくんだりまで来て、こんな言葉を繰り返す羽目になるとは・・・異文化コミュニケーションってむつかしいよね・・・

しかし妙齢の婦人の必死の努力とは裏腹に、オヤジは「え?え?ナニ?何が言いたいの?」というポカンとした面持ち・・・くそぉこのオヤジ!分からんやっちゃ!
・・・
ええい!こうなったら大和撫子の恥は捨て去るのみ!

”サーカム・・・シ・・ション・・・!!!”と口走りながら、最終手段としてオヤジの股間を指さして割礼の仕草をする私・・・その瞬間好奇心が羞恥心を凌駕した。

決死の覚悟の甲斐あって、彼はすぐさま私の言わんとする事を理解し、心地よい回答を投げ返して下ささった。

「それはカイロ博物館には無いんだよん!パピルスにも残ってないんだよ〜ん!」(※1)

チクショー!!!恥のかき損だ!!

(左)やんごとなきお方の下着・・・そう、ツタンカーメンのパンツである。今で言うふんどしのような感じ。


しかしそこまでして割礼図を求め極東からやって来た乙女の有様を見て、何かビビビとくるところがあったのだろうか。

それからというもの、頼んでもないのに下ネタ関係に的を絞った的確きわまる案内をしてくれたオヤジ。

早産児のミイラ(※2)、人毛製のカツラ、赤ん坊のおくるみ、男性用下着、葬式の花輪、シャケの干物にしか見えないでかいサカナのミイラ、そしてトイレ等々・・・

"circumcision"で寄りそったエジプトとジャパンの心。海外旅行するときは是非とも覚えていきましょうこの英単語を・・・

たった一時間の鑑賞ではあったが、前日のツアーコースでの鑑賞とは比べものにならない満足度!今度行く時あたりには、是非とも彼を指名したいと思っている。

ただこれで「日本人には下ネタ系がウケる」と勘違いしたオヤジが、次案内する日本人観光客相手にそういうブツばかり紹介したら・・・ゴメン、次の人。

(左)古代エジプトのトイレは座るタイプ。

社会の最上層はこのような木製や石製の便座の下に着脱可能な鉢を置いて使用した。


※1・・・今振り返ると、観光客の下世話な質問にも即座に答えてくれるカイロ博物館のガイド達は、皆そろってかなり凄腕なのかもしれない。

割礼図のパピルスが残っているというのは、私の完全な勘違い。オヤジの言うとおり、割礼図のパピルスが現存しないというのは、帰国後必至で調べてやっと判明。なお、割礼についてはこちらをご覧下さい→

※2・・・これは「アンケセナーメン(ツタンカーメンの妻)の早産児」だと紹介されたのだが、さすがにそれは無いんじゃないか?この赤ん坊のミイラは、展示室の隅の方の汚れたガラスケースの他の木棺の奥に隠されるように置かれていたが、貴重な資料だからあんなとこに置かないように思うのだが・・・ただ、カイロ博物館はカオスなのでありえないとも言い切れない。

「どうしてこんなとこに隠しているの?」と聞くと、オヤジは「光でこれ以上変質するのを避けるためだ」とか答えていたが、回答になっていない気がする。他の大人のミイラは厳重に管理されているというのに・・・ただ表の「ツタンカーメン関連室」に置いて人目にさらすものでもないのだが。

これと同様に、王妃アンケセナーメンがツタンカーメンの死後、夫の胸の上にそっと置いたまま、三千年を経てカーターに発見されたひからびた矢車菊の花束も、全く目立たない展示物の中にひっそりと紛れていた。

「貴方がこの度なした世紀の大発見である、ツタンカーメンの宝物の中で何が一番印象的でしたか?」とインタビューされ、カーターが答えて曰く「数千年前の夫婦の情愛を示す、葬儀の花束です・・・」と答えた有名な矢車菊なのだが。

ただ、そんなジーンとくるトークをしつつ、カーターが「発掘品第一号」として遺物番号を振ったのは、かの有名な「妻に香油を塗ってもらうツタンカーメン」を描いた金ピカの椅子だったそうだ。カーターさんてば正直なヒト!(※)

・・・吉村作治先生の著作によると「遺物番号1」となっていたが、近藤二郎先生が翻訳されたニコラス・リーブスの著作「黄金のツタンカーメン」(原書房)によると、この黄金の椅子の遺物番号は91.どちらが正しいのか素人には分かりかねますので、両方書いておきます。

(右)3200年前の猟犬(サルーキ又はスロウギー)のミイラ。王(アメンホテップ三世かホルエムヘブでないかと推測されている)の愛犬であった彼(彼女)は、ミイラにしてもらう程愛されていたようだ。

この写真、アメリカサルーキクラブの友人に送ったらもう大喜び。どんなジャンルでもマニアってやつぁ・・・(笑)